株式会社阪本
阪本琢磨さん

プロのトランペット奏者として世界30か国以上で活動後、家業である老舗仏壇店「お仏壇の阪本」の4代目を継承。伝統を守りつつ、新商品「SHIZUCOCORO Sleep」の開発やクラウドファンディング成功など革新的な取り組みを展開。「『あなた』に灯りを」を経営理念に掲げ、業界に新たな価値を生み出し続けている。



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1. アトツギマインド

・家業を継ぐ理由は人それぞれであり、「使命感」よりも「自分に合った形での関わり方」が長続きする。
・「継がなければならない」というプレッシャーを手放すことで、新たな挑戦がしやすくなる。
・何者かになろうとするよりも、「自分の価値観に沿った経営」が結果的に事業の継続につながる。


2. 改善/改革

・伝統的な業界の中でも、時代に合わせた価値提供の仕方を模索することが重要。
・小さな実験を繰り返しながら、ニーズに応じた柔軟な方向転換が求められる。
・既存のビジネスモデルに固執せず、新たな顧客層や市場を開拓する発想が必要。


3. 事業開発

・既存の流通や製造の枠組みにとらわれず、ゼロから仕組みを作ることが新たな競争力につながる。
・テストマーケティングやクラウドファンディングを活用し、初期の市場適応を図る。
・顧客の「潜在的な課題」に着目し、ピンポイントなソリューションを提供することで差別化が可能。



4. チームビルディング

・メンバー構成の変化が、社内文化や働きやすさに大きく影響を与える。
・自分が「すべてをやる」ことにこだわらず、適切な権限移譲やアウトソーシングが必要。
・経営者の役割は「最も得意なことをする」ことではなく、「組織が最大限の力を発揮できる環境をつくる」ことにある。


5. ファイナンス/PL

・補助金やクラウドファンディングを活用し、初期投資のリスクを抑える戦略が有効。
・低価格帯の商品は単価が低いため、販売戦略や収益構造の工夫が求められる。





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ゴードン:
阪本さん、本日はどうぞよろしくお願いいたします。
まず阪本さんが家業に関わるようになったきっかけや、その源泉についてお聞きしたいと思います。

家業と関係なくても大丈夫なので、どんな子供時代を過ごされたのか教えていただけますか?

阪本さん:
僕は幼稚園の年少くらいまで、商店街の中にある仏壇店の2階で暮らしてました。1階が店舗で、祖父も一緒に住んでいて、よくお線香を焚いていたのを覚えてます。

新しい商品が入るとお店で試しに焚いてみて、「これはいい香りだな」「これはあかん」と評価してましたね。

ゴードン:
なるほど。常にお線香の香りが漂っている環境だったんですね。

阪本さん:
そうなんです。家に帰るときも店を通らないといけなかったので、幼少期は仏壇に囲まれて過ごしていました。その後、店舗を商店街から国道沿いに移したんです。

そこからは、家と店が完全に分かれる形になって、僕自身の生活も家業とは少し距離ができた感じですね。もちろん「仏壇屋の息子」という自覚はありましたが、日常的に関わることはあまりありませんでした。

ゴードン:
子ども時代に特に熱中していたことはありましたか?

阪本さん:
小学校の頃は正直、何かに強く興味を持つことはなかったですね。ただ、しゃべるのは好きでした。

でも、中学校に入ってトランペットに出会ったんです。

小学校6年生の時に、学校に演奏家が来る音楽教育のイベントがあったんです。体育館で演奏を聴く機会があって、その時のトランペット奏者がめちゃくちゃうまくて、すごくかっこよかったんです。「いつかやりたいな」と思いましたね。ただ、その頃は柔道部に入るつもりだったんです。

でも、中学校に入ると、吹奏楽部の先輩に「入るとみんなで東京とか行けるよ」と言われて(笑)。しかも、それを言ってきたのが可愛い女の先輩だったので、柔道部の先輩に会う前に吹奏楽部に入部を決めました(笑)。

ゴードン:
それで吹奏楽部に入ったんですね。

阪本さん:
はい。うちは音楽一家でも何でもなかったので、まともに音楽と向き合ったのはこの時が初めてでした。

ゴードン:
なるほど、家業が遠のいて・・・というお話しでしたが、その後家業との接点などはあったんですか?


店内写真.jpeg 1.7 MB現在の店内の写真

阪本さん:
うちはtoCの仕事なので、親父や祖父とかが仏壇ってやってるっていうのは 人から聞くことが多かったです。

あとは、アトツギのあるあるだと思うんですけど、家でも仕事をやっていて、何の話をしてるのかわからないけど、生活と仕事が一体化してる人たちだなっていう印象でした。

ただ、将来ついでほしいとか、継いでほしくないとかっていう話は全くなかったです。

ゴードン:
そうなんですね、全くなかったんですね。

阪本さん:
僕、4人兄弟の上から3番目なんですけど、長女、長男のあとに僕なんです。
なので、兄貴が継ぐんやろうと思っていて。だから、自分にはあまり関係ないと思って、事業承継のことはあまり考えてなかったです。

ゴードン:
なるほど、では、家業について遠のいた少年が中学校でトランペットに出会って、その後どういった人生を歩んでいくんでしょうか?

阪本さん:
もうクラシックのトランペット以外には全く興味がなくなりました。高校時代、みんなが流行の音楽を聴いている中、「GLAYって何?」って思ってましたね(笑)。
ただ、僕の高校には吹奏楽部がなかったんです。

だから、一人でCDを聴いて練習するしかなかったんです。まさに「トランペットが友達」状態でしたね。

そのまま音楽大学に進んだんですが、大学4年間、必死に練習しても全然上達しなくて、「何かを間違えてるんだろうな」と思うようになったんです。

ミュージシャン時代ジェーン・バーキンと.jpeg 27.17 KBミュージシャン時代ジェーン・バーキンと

そんな時、フランスの伝説的なトランペット奏者モーリス・アンドレの弟子が日本でマスタークラスを開くという情報を得たんです。公開レッスンを受けに行ったら、その先生に「お前、このまま練習しても上手くならないの、もう理解してるよな?」って言われて(笑)。

「そうなんですよ!」って思わず答えました(笑)。

そしたら「お前のやり方が全部間違ってる。フォームも道具もダメだ」と言われて。
どうすればいいのか聞いたら、「フランスに来たらワンチャンあるかもしれない」と言われたんです。

今思えば営業トークだったのかもしれませんけど(笑)。
でもその先生はモーリス・アンドレの直系の弟子だったので、僕は孫弟子になれるというのが大きな魅力でした。

しかも、フランスの音楽大学は学費がめちゃくちゃ安いんですよ。年間2万5000円〜3万円くらいで済むんです。

ゴードン:
そんなに安いんですか!?

阪本さん:
はい(笑)。
フランスに渡って勉強しながらアルバイトをした後、フリーランスとして活動していたんですが、仕事もあまりない状況でした。

その頃に東日本大震災が起きて、知り合いから「ジェーン・バーキンが日本人のトランペット奏者を探してるぞ」と電話がかかってきて、ワールドツアーに回れるようになりました。


家業への転機 ──ミュージシャンとしての活躍と気付き


阪本さん:
実は、ジェーン・バーキンが福島の震災直後、事務所の反対を押し切って、急遽自分で航空券を取って来日したんです。そして渋谷でライブをやったんですが、その時に急遽集められたメンバーがトランペット、ドラム、ピアノ、バイオリンというちょっと変わった編成で。

それが彼女にとても気に入られて、「このメンバーでワールドツアーをやりたい」となったんです。でも毎回日本からメンバーを呼ぶのは大変だから、現地在住の日本人ミュージシャンを探そうという話になり、僕がその一人として選ばれました。

ゴードン:
すごいですね!ツアーではどんな国を回られたんですか?

阪本さん:
ヨーロッパはほぼ全部回りましたね。あとはイスラエルやパレスチナ西岸自治区など、中東のいくつかの国にも行きました。

ゴードン:
ええ、パレスチナ西岸自治区まで!本当に貴重な経験ですね。ところで、モーリス・アンドレの弟子の方に「フランスに行けばワンチャンある」と言われて飛び込まれたわけですが、実際どうでしたか?

阪本さん:
テクニック的にはもう完全に別物になりましたね。ただ、フランスに行った最初の1年は人生で一番辛かったです。

フォームを根本から変えるよう指導されて、それこそ「右利きを左利きに矯正する」みたいなレベルの話で、まともに音が出せなくなりました。


1年間ほとんど音が出せず、周りの人たちはどんどん上手くなっていくのに、自分は「今日はこの音しか出せない」みたいな状況で。
1ヶ月経って、ようやく「ド・レ・ミが出せるようになった!」ってレベルでした(笑)。でも、みんなはその間に3曲4曲と演奏しているわけで…。

ゴードン:
でも、営業目的だけではなく、それだけ劇的に変えないとダメな状況というのは真実だったということなんですね。

阪本さん:
そうですね。当時23〜24歳くらいだったと思いますが、本気で取り組めば肉体的にも技術的にも全く別物になれるんだなと実感しました。まあ、できれば思い出したくないくらいしんどかったですけど(笑)。

ゴードン:
そんな過酷な修行の末、ワールドツアーに参加されるわけですが、その頃にはもうフランス語も問題なかったんですか?

阪本さん:
音楽の仕事をする上では問題なかったですね。ただ、そのツアーをする前に、家業を継ぐはずだった兄がドロップアウトしたんです。

兄は仏壇の修行を経て家業に入ったんですが、完全に仕事に出られなくなってしまったんです。

ゴードン:
なるほど。それが阪本さんにとっても大きな転機になったんですね。

阪本さん:
そうですね。30歳になるタイミングで、親から「家業に戻るか、音楽を続けるか決めてほしい」と言われました。どちらでも構わないけれど、早めに決めてほしいと。

ゴードン:
親御さんとしても、後継を決めたい、という気持ちだったんですかね。

阪本さん:
そうだと思います。親父としては「俺がダメなら誰かに回すか、会社を畳むか」を早めに決めたかったんでしょうね。

ゴードン:
ワールドツアーをしていたのが25〜26歳くらいでしたよね?

阪本さん:
はい。ツアーは3年間ほど続きました。その間に「音楽を仕事にしなくてもいいな」と思う瞬間が何度かあったんです。

一つは、5000人規模の観客の前でソロを吹いて拍手をもらうよりも、ツアーが終わった後しばらくし吹いていて、「昨日の自分より上手く吹けるようになった」ことが嬉しかったんです。つまり、自分の時間さえ確保できれば、人前で演奏しなくても満足できるんじゃないかと。

もう一つは、音楽の世界では60歳や70歳のベテランともタメ口で話すんですが、彼らと給料が変わらないんですよね。それで、彼らの生活を見ていると「俺の将来もこうなるのか」と思うようになりました。

例えば、奥さんと別れて、中古車に乗って、小さなマンションに住んでる。音楽が好きで続けているけど、生活として見ると…っていう。

ミュージシャン時代イスタンブールのライブハウスにて.jpeg 130.01 KBミュージシャン時代イスタンブールのライブハウスにて

阪本さん:
そして三つ目のきっかけが、パレスチナ西岸自治区でのライブでした。音響設備も最悪で、ピアノもボロボロ、マイクもペコペコ。でも、観客はめちゃくちゃ盛り上がっていたんです。閉鎖された環境の中で、西側の音楽を聴く機会がほとんどないので、すごく喜んでくれたんですよね。

演奏後に音響スタッフと話していたら、「ここは確かに機材も酷いし環境も最悪だけど、俺がいるから最高なんだ」って言われて。「このメンタリティなら、どこで生きていても楽しくやれるな」と思ったんです。

その三つが重なって、「自分の時間が取れれば大勢の前で演奏しなくてもいい」「ある程度のお金は必要」「どこに住んでいても楽しく生きられる」という考えになりました。仏壇店なら24時間働く必要はないし、音楽活動も続けられる。仏壇業界は儲かるかもしれないし…という甘い考えもありましたね(笑)。

ゴードン:
なるほど・・・。
阪本さんが家業に戻ると伝えたとき、ご両親の反応はいかがでしたか?

阪本さん:
「あ、ええんちゃう?」ぐらいでしたね(笑)。

世の中の跡継ぎの方って、「家業に恩返しをしたい」みたいな強い思いを持ってることが多いじゃないですか。でも、僕の場合はそういうのは全くなくて。むしろ、「タイムカードを押した後は音楽も続けられるし、仕事もあるし、稼業だから自由にできるんじゃないか」っていう、すごく妥協っぽい感覚でしたね。

ゴードン:
それで30歳の時に家業へ戻るわけですね!

家業に戻ることと、本気で「家業を頑張ろう」とスイッチが入るタイミングって、ずれていることが多いのかなと思うんですが、阪本さんの場合はいかがでしたか?

阪本さん:
バリバリずれてましたね(笑)。

基本的に、家業に入った頃はモチベーションがめちゃくちゃ低かったんです。営業に行くフリをして駐車場で昼寝してたり(笑)。

ゴードン:
(笑)超わかります。

阪本さん:
でも、ある日、社内で従業員同士のトラブルが起こったんです。当時、従業員が3人いたんですが、1対2に分かれてバトルになってしまって。僕はその時何もできず、親父も静観していて、結局2人が辞めちゃったんですよ。

その時に「これはマジでやばいぞ」ってなったんですよね。親父と僕、そして残った1人の従業員だけになったわけですから。これは本気でやらないとまずいなって。

それで、まずは採用をしないといけないし、仕事を回せるような体制を整えなきゃいけない、と。


「会社のボトルネックは自分」── 環境と共に変わるマインド


ゴードン:
それは家業に入って何年目ぐらいのことだったんですか?

阪本さん:
4年目ぐらいですね。だから、34〜35歳の頃だったと思います。

ゴードン:
じゃあ、ある程度家業のことはわかってきたけど、本気で経営の視点を持っていたかというと、最初の3年はそうじゃなかった、という感じですか?

阪本さん:
まさにそうですね。経営の勉強はしたいと思っていたので、いろいろ学んではいたんですが、実際に現場でやるとなると話が違うというか。急に採用する側に回らなきゃいけなくなって、「これはもう音楽とか言ってる場合じゃないな」となりましたね。

ゴードン:
そこから具体的には何から手をつけていったんですか?

阪本さん:
まず、自分が数字に弱いことを痛感して、簿記の勉強を始めました。それまでは親父が数字に強かったので避けてました。

補助金を取りに行くとか、借り入れの手続きをするとか、今まで親父に任せていたことを自分でやるようになりました。それに加えて、店舗の改装もすることになったんです。

ゴードン:
お店の改装はどういう目的だったんですか?老朽化の問題ですか?それとも売上向上のため?

阪本さん:
両方ですね。お店の雰囲気が古くて、蛍光灯の暗い空間で、空調も老朽化していて…。ずっと「こういうことをやりたい」というアイデアはあったんですが、それを実現するには改装が必要でした。

例えば、ワークショップをやりたいとか、商品をもっと魅力的に見せたいとか。そこで、「もうこのタイミングでやろう」と決めて、改装プロジェクトを自分で主導しました。

設計や施工の業者選定、どういうデザインにするか、何をしたいか、全部自分で考えました。それが、完全に「自分の会社になったな」と実感した瞬間ですね。

ゴードン:
改装してみて、振り返るとどうですか?

阪本さん:
やっぱり100%満足とはいかないですが、変えてよかったなと思いますね。特に、ワークショップをたくさん開催できるようになったのが大きいです。

例えば、平安時代の香り文化を学ぶ「匂い袋作りワークショップ」とか、朝5時からやる「仏壇店でヨガ」とか(笑)。
あと、仏壇の掃除講座とかですね。新規事業につながるものだと、お線香作り体験でオリジナルのレシピで実験的に年に数回開催しています。


店内ワークショップ.jpeg 1.83 MB店内ワークショップの様子

ゴードン:

それによって、やっぱりお客さんのファンが増えていった感じですか?

阪本さん:
そうですね。ただ、うちは地域密着型の仏壇店なので、人口が減少する中で商圏も縮小していくのが見えていて…。ワークショップでファンが増えても、それがすぐに仏壇の売上につながるわけではないんですよね。

ゴードン:
なるほど。ワークショップの参加者が、将来的に仏壇を買う可能性はあるかもしれないけど、それはすぐには数字に表れない、と。

阪本さん:
そうですね。おそらく20年後くらいにお客さんになってくれるかもしれない、という感覚です。

ゴードン:
アトツギならではの長期的な視点ですね。とても面白いです。ところで、お父様との関係性はどうなんですか?

阪本さん:
うちは割と良好な方だと思います。ちょっと珍しい話なんですが、事業承継のタイミングがめちゃくちゃ急だったんですよ。

「お前、1週間後に社長やぞ」って言われたんです(笑)。

ゴードン:
ええ!?急ですね(笑)

阪本さん:
冗談かなと思ったら、本当に1週間後に従業員の前で「社長になりました」と挨拶することになりました。

ゴードン:
すごい(笑)
ちなみに、従業員が抜けてしまったことが経営に向き合うきっかけになったとのことでしたが、その後の採用やチーム作りはどうされましたか?

阪本さん:
今働いてくれている従業員さんはすごくいい方で、本当に助かっていますね。新しく入ってくれたのが20代の方だったので、一気に社内の年齢層が若返ったんです。

それまでは全員が僕より年上だったので、すごく気を使いながら仕事をしていたんですが、今は逆に僕が教える立場になりました。

以前は、僕がバリバリ働くと「なんか偉そうにしてる」みたいな空気になりがちだったんですが、今はそういう気を使わなくて済むようになりましたね。残った従業員さんもフランクな方で、友達感覚で話せる人だったので、社内の空気がだいぶ良くなりました。

最初の頃は、跡継ぎとして「親父を超えなきゃいけない」「従業員さんよりも仕事ができないといけない」みたいなプレッシャーを勝手に感じていました。でも、現実的に考えたら、30歳までタイムカードを押したことがない人間が、1年や2年で歴戦の従業員さんたちに勝てるわけがないんですよね。

新しい従業員さんが入ったタイミングで、その人は工業高校出身で、ワードやエクセルの操作もすぐにできるんです。僕は全然できなかったんですけど(笑)。そこで、「あれ?社内で一番仕事ができないのって俺じゃない?」って気づいたんです。

その時、『ザ・ゴール』っていう本を読んで、ボトルネックの考え方を知ったんです。で、「社内のボトルネックって完全に俺やな」って思いました(笑)。

ゴードン:
そこからマインドが変わったんですね。

阪本さん:
はい。ある種諦めというか(笑)もちろん勉強はしないといけないですが、「お願いします」が言えなかったんですが、「田中さんいなかったら会社潰れているよ」みたいなことが言えるようになりました。

ゴードン:
社内の雰囲気も変わりましたか?

阪本さん:
めちゃくちゃ変わりましたね。例えば、コロナ禍で僕が最初に感染したんですよ。うちの決算が3月なので、棚卸しの最中に体調が悪くなって、4月1日から2週間入院することになったんです。でも、その間も会社がちゃんと回っていたんですよね。

それを経験して、「俺がいなくても会社は回る」と実感しました。それ以来、もっと積極的に人に任せるように意識しています。今でも「つい自分でやっちゃう」ことは課題なんですけどね。

でも、「任せられるところは任せよう」と思えるようになったのは楽になりましたね。


仕事写真(神輿奉納).jpeg 393.78 KB神輿奉納の様子


ゴードン:
めちゃくちゃ良い話ですね。やっぱり「後継者だからしっかりしなきゃ」とか「完璧でないといけない」と思いがちですが、実際は「任せる」ことが大事なんですね。

阪本さん:
本当にそうです。冷静に考えると、30歳までパソコンもYouTubeを見るくらいしか使ったことがない、トランペットしかできない人間が、急に経営をやろうとするわけですからね(笑)。今でも「社内のボトルネックは自分だ」と思っています。

だからこそ、「どうやってボトルネックを解消するか」を常に考えています。今はアウトソーシングをもっと活用していくことを意識しています。

といってもプライドが高いので「全部自分でできる」と思いがちなんですが、「いや、お前そんな大した人間じゃないやろ」と日々自己対話しています(笑)。


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ミュージシャン時代の刺激的なエピソードと、家業のリアルのギャップが非常に面白く、阪本さんの世界に引き込まれます・・・。

次回は新規事業への取り組みを伺っていきます。
大胆な阪本さんにより、すごく地道なアクションに心を動かされる回です。

ぜひお楽しみに!