第2回目は、セキネシール工業株式会社 関根俊直さんにインタビューをしました!

セキネシール工業株式会社
関根俊直さん


1988年埼玉県生まれ。ユネスコ無形文化遺産にも登録された「細川和紙」の技術を活かした特殊機能紙を生産・販売する、セキネシール工業株式会社の3代目候補。大手自動車部品メーカーにて生産管理、HR Techベンチャーにて営業、人事の仕事を経験した後に、2020年より家業へアトツギとして入社。入社後は、営業・人事・IT推進の仕事を担い、家業の価値ある伝統や技術を活かして、新たな企業への転換を目指し奮闘中。



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1. マインド

・自分の人生を歩みたいという想いと、家業を継ぐ責任感の両立。  
・対話を重視し、社員の意見を尊重する姿勢が跡継ぎとしてのリーダーシップに繋がる。  
・自分自身との対話を通じてモヤモヤを言語化し、成長や課題解決に結びつける。  
・跡継ぎ同士、先輩メンターとの対話で孤独感を和らげ、学びを得る。  

2. 改善/改革

・入社時に形骸化していたミッション・ビジョン・バリュー(MVV)を刷新。  
・全社員を巻き込み、対話を重ねて共感を得られる経営理念を策定。  
・社員が意見を出しやすい環境を作り、トップダウン文化を変革。  
・過去の影響力が強い幹部と対話し、必要な場合は役職変更や引退を促す。  

3. 事業開発

・新規事業としてEVの炎症防止剤を開発し、特許を取得。  
・既存のガスケット材料に付加価値を与え、燃えにくい素材として市場投入。  
・長期視点で技術開発を進めることで、将来の市場ニーズに対応。  

4. チームビルディング

・若手とシニアのプロ人材を融合させた研究開発チームを構築。  
・1on1の文化を定着させ、幹部や社員全体で対話の重要性を共有。  
・書籍の輪読会を実施し、対話文化を強化。  
・社員が共感できる経営理念をもとに、自発的に行動できる環境を整備。 




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ゴードン:
では、今回のインタビューではセキネシール工業の関根さんにお話を伺います。よろしくお願いします。

関根:
よろしくお願いします。

ゴードン:
では、少しさかのぼって関根さんの幼少期についてお聞かせください。どんな子供でしたか?

関根:
僕は4人兄弟の3番目で、上に兄が2人、下に妹がいます。幼少期は兄たちの背中を見て育ちましたね。兄の後ろをずっとついていく、金魚の糞みたいな子供でした(笑)。

ゴードン:
兄弟が多いとにぎやかそうですね。どんな遊びをしていましたか?

関根:
外で遊ぶのが好きで、野球をしたりクラブチームに入っていました。ゲームも好きで、友達とよく遊んでいましたね。兄にくっついて兄の友達と遊ぶことも多かったです。

ゴードン:
そんな楽しい幼少期だったんですね。家業との接点は子供の頃にありましたか?

関根:
実はあまりなかったんです。うちは従業員50人ほどの会社で、本社は実家から50メートルくらいしか離れていなかったんですが、会社に行くことはほとんどありませんでした。たまに社用車を借りる程度で、社員の方とも接点はほとんどなかったですね。

ゴードン:
では、ご家庭でお父様が仕事の話をすることもなかったんですか?

関根:
まったくなかったです。僕が小学校に入学する頃に父が社長になり、祖父が会長になったんですが、それでも家で仕事の話は一切ありませんでした。ただ、会社名が「セキネシール工業」で、地域では大きな会社だったので「シールを毎日作ってるの?」みたいな話はしていた記憶があります。

ゴードン:
確かに、子供にとって「シール」は身近ですからね。では、そんな関根さんが家業に関わるようになったきっかけはいつだったのでしょうか?

関根:
大きなきっかけは大学2年生の時です。祖父が亡くなった際に父から「将来この会社を継いでほしい」と言われました。

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ゴードン:
お兄さんたちにはその話はなかったんですか?

関根:
なかったですね。長男は薬剤師を目指して大学院に進んでいて、次男も「俺じゃないよね」みたいな感じだったので、進路が決まっていなかった僕が選ばれたんだと思います。

ゴードン:
それを言われた時、どう感じましたか?

関根:
最初は驚きましたが、すぐに受け入れました。祖父の葬儀で多くの人が「すごい人だった」と言っていて、自分もそうなれたらいいなと思ったんです。当時は特にやりたいこともなかったので「じゃあ、やってみようかな」という気持ちでしたね。

ゴードン:
それまでにお父様から何かほのめかされることはなかったですか?

関根:
父からはなかったですが、祖父が「こいつが会社を継ぐんじゃないか」と話していた記憶はうっすらあります。兄たちも「お前だよね」みたいな雰囲気がありました。

ゴードン:
大学2年生でその意識が芽生えたんですね。その後、家業に入る前にどこかで経験を積まれたと思いますが、印象に残っていることはありますか?

関根:
家業に入る前に、自動車部品メーカーのアイシン精機で5年働きました。その後、ビズリーチに転職して事業づくりや組織づくりを学びました。アイシンでは製造業の基礎を学びましたし、ビズリーチではベンチャーならではの経験ができました。

ゴードン:
アイシンからそのまま家業に入るのではなく、ビズリーチに行かれた理由は何でしょう?

関根:
実はアイシンに入社して1年目で鬱状態になったんです。大手で安定を求める人たちとの価値観が合わず、辛くなってしまいました。父に泣いて「こんな気持ちじゃ継げない」と打ち明けたんですが、「お前の人生だから好きにしろ」と言われました。ただ「せっかくいい会社に入ったんだから、数年は頑張れ」とも言われて、5年頑張りましたね。

最初は仕事ができず悔しかったんですが、一生懸命頑張っているうちに楽しくなりました。気づけば5年経っていた、という感じです。

ゴードン:
では、アイシンでの5年間を経てビズリーチに転職した理由について詳しくお聞かせください。

関根:
アイシンには家業を継ぐための修行として入社しました。ただ、4〜5年経った頃に「自分の人生を歩みたい」と強く思うようになり、家業を一度リセットしてやりたいことを探そうと考えました。でも、結局やりたいことは見つからなかったんです。

そこで、いろんな業種や職種を見られる環境、成長できる場所に身を置きたいと思いまして。20代だったこともあり、ベンチャーに興味があったので、そういう環境でサービスが好きになれる仕事を探していたところ、ゼミの先輩がビズリーチで働いていて声をかけてもらいました。軸に合致していたので面接を受けて、スムーズに内定をいただきました。

ゴードン:
ビズリーチではどんな経験をされましたか?

関根:
採用コンサルタントとして、企業がビズリーチを使って採用活動をどう進めていくかを支援しました。コンサルタントと言いつつ営業のような役割も担いましたね。最初の3年間はその仕事をして、最後の1年は自社の中途採用を担当し、外部から優秀な人材を採用する業務を行っていました。

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ゴードン:
その経験が家業に戻るきっかけになったのでしょうか?

関根:
はい。ビズリーチ入社と同時期に母が病気になってしまったんです。また、一度家業を継ぐのを辞退して兄が入ったものの、1年で辞めてしまったこともありました。その時、「やっぱり自分が入るべきか」と責任感が芽生えましたが、「責任感だけでやるとアイシンの時と同じことになる」と感じました。 

そこで、後継者向けのビジネススクールに通ったり、経営者に話を聞きに行ったりしました。皆さん口を揃えて「大変だ」と言っていましたが、どこか楽しそうにも見えたんですよね。それを見て「やっぱり経営者の人生を歩んでみたい」と思い、家業に戻る決断をしました。

ゴードン:
とても前向きな決断ですね。

関根:
そうですね。入社前に副業として家業で月1回ほど働く期間を設けました。半年ほど経った頃、父から「そろそろ戻ってきたらどうだ」と言われましたが、「それは自分で決めることだ」と思い、自分の意志で入社することを決めました。

ゴードン:
家業に入られてからスイッチが入ったタイミングはありましたか?

関根:
入社した瞬間からスイッチが入っていましたね。経営者としての人生を楽しみたいという思いがずっとありました。アイシンやビズリーチで働いていた時から、家業への思いがずっと心の中にあったんです。そのモヤモヤが入社と同時に晴れました。

事業承継の時期についても父と握っていて、入社時点で「4年後には社長になる」と決まっていました。2020年1月に入社し、2024年1月に社長になる予定でした。

ゴードン:
その4年という期間はどのように決められたんですか?

関根:
父が70歳になるタイミングが4年後だったんです。それで「その時に継ごう」と話をしました。

ゴードン:
実際にその通りに社長になられたんですね。

関根:
そうです。今年の1月に社長になりました。

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ゴードン:
では、家業に戻られてから最初に取り組んだことについてお聞かせください。
やっぱり事業承継って、いろんな課題が山積みだと思うんですよね。新規事業を立ち上げるのか、それとも現状の事業を改革していくのか。あるいは、株や財務の問題もあったりするかと思うんですけど、関根さんの場合は何から手をつけられましたか?

関根:
はい。最初に取り組んだのは「組織作り」ですね。今も継続して取り組んでいるテーマです。自分一人では何もできないというのが前職での経験から強く分かっていましたし、優秀な人が活躍できる環境を整えることが事業の成長に不可欠だと感じました。

ゴードン:
組織作りを最優先された理由は何だったのでしょうか? 例えば、新規事業を作るとか、既存の売上を上げるというのが最初に来そうな気もしますが。

関根:
そうですね。やはり前職での経験が大きいです。私自身、先輩社員やベテランと比べて知識も経験も圧倒的に少ないので、自分が活躍するよりも、周りの人が能力を発揮できる場を作る方が会社が伸びると思ったんです。実際に前職でも、そういう形で事業が成長していくのを目の当たりにしてきました。

ゴードン:
なるほど。でも、32歳という年齢で家業に入られたわけですよね?おそらく、業界や会社の中ではかなり若い方だと思うんですが、その年齢で組織作りを進めるのはなかなか大変だったのでは?

関根:
そうですね。正直なところ、年上の社員が多い中で、自分が認めてもらえるのかという不安はありました。でも、とにかく「対話」を大切にしましたね。父とも毎週のように1対1で飲みながら話をしましたし、幹部とも週に1度1on1を行って、価値観や仕事に対する考えを深く聞くようにしていました。

ゴードン:
それは効果がありましたか?

関根:
はい、すごく良かったです。最初は実績も経験もないので、自分の意見に説得力がないと感じていました。でも、社員の声を聞き、彼らがやりたいことや感じている課題を一緒に解決していくことで、少しずつ組織が変わっていきました。半年に1度は社員全員と1on1を続けています。

ゴードン:
それで新しいアイデアや課題が出てきたりするんですか?

関根:
そうですね。実際に話を聞くと「こうした方が良いのでは?」という意見や課題がかなり出てきます。それまではトップダウンの文化が強かったので、なかなか意見が出しづらい雰囲気があったんですよね。でも、実際には社員それぞれが意志を持って働いていて、声を引き出せばたくさん出てきます。

ゴードン:
とはいえ、トップダウンの文化を変えるのは簡単ではないと思いますが、上層部の反応はどうでしたか?

関根:
トップ2人のうち1人は父でしたので、私のやりたいことに対しては大きく反対されることは少なかったですね。ただ、細かい部分では反対されることもあったので、そういう時はしっかり根回しをしました。

ゴードン:
なるほど。では、もう1人のトップの方はどうでしたか?

関根:
入社当時、「レジェンド」と呼ばれる方がいたんです。その方は過去に事業を大きく成長させてくれた一方で、入社時には少し影響力が強すぎて、前向きな存在とは言えませんでした。なので、半年後には引退していただく形にしました。

ゴードン:
それは関根さんからアクションを起こしたんですか?

関根:
そうですね。顧問として残っていたんですが、父に「会社の成長のためにこの方には引退していただくべきだ」と提案しました。最終的には父が動いてくれて、スムーズに進みました。

ゴードン:
組織作りでは人の入れ替えも避けられない部分ですね。

関根:
そうですね。特に変革期には重要になります。実際には他の古参幹部ともぶつかることがありましたし、「お前とは1on1はしない」と言われることもありました。でも、それでも諦めずに対話を続けるようにしましたね。

あとは、やっぱり思い切った改革をしようとすると、抵抗があることも多かったです。でもめげずに「ちょっと話しましょうよ」と持ちかけることが大きかったですね。とにかく対話を続けました。

ゴードン:
なるほど。対話がやはり鍵なんですね。進まない時にも対話で突破口を探るということですか?

関根:
そうです。それ以上でも以下でもないですね。同時に、若い人材の採用も進めましたし、昨年の4月から外部のシニアプロ人材を2人ほど迎え入れました。若手と経験豊富な人が少しずつ増えてきたことで、組織にも良い変化が出てきましたね。


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次回以降、さらに組織改革の深掘りを行なっていきます!
大変面白い回なのでぜひお楽しみに・・・

>>後半へ続く