山喜製陶株式会社
河口尚大さん
2023年に家業へ戻った山喜製陶株式会社の3代目後継者。請求書作成を自動化、作業時間を大幅に削減することで、家業のDXに成功。復帰前には修行を重ね、ビジネスの課題を深く掘り下げる中で、美濃焼の可能性を見つめ直してきた。職人との対話を大切にしながら業務改善や効率化に成功し、現場の信頼を得る一方で、山喜製陶の伝統を守りながらグローバル展開を見据えた挑戦を続けている。1949年創業の同社は、斬新なデザインと伝統技術を融合した美濃焼の老舗企業。
1. アトツギマインド
・自分にリーダーシップがあるか不安でも、やりがいを見つけ挑戦を続ける姿勢が大切。
・「成功例」に囚われず、自分たちのやり方で進めるというマインドを持つ。
・家業の現状を深く理解するために外部のピッチや事業計画作成に挑戦し、視野を広げる。
2. 改善/改革
・データ化や見える化によって、会社の現状を把握し、課題を具体化する。
・現場の効率化に率先して取り組み、自らが行動することで従業員の信頼を得る。
・具体的な工程(良品率向上など)を改善することで、目に見える成果を積み重ねる。
3. 事業開発
・顧客からの新しいニーズに柔軟に応え、差別化された価値を提供する。
・「チンチロ」のような挑戦では、粘り強く試行錯誤を続けることで信頼を得る。
・プロジェクトの成功で得た知名度や信頼を次のビジネスチャンスに活かす。
4. チームビルディング
・中小企業診断士などの外部専門家を活用し、親世代や従業員との意見調整を円滑に進める。
・成果を可視化して従業員に共有することで、一体感とモチベーションを向上させる。
・親世代との価値観の違いを尊重しつつ、目標を共有するための工夫を行う。
5. ファイナンス/PL
・経営改善計画の策定を通じて、財務状況を客観的に把握し、改善の方向性を明確にする。
・金融機関との信頼関係を築くことで、資金調達や経営の安定を図る。
・材料費の高騰や価格転嫁の難しさに直面する中で、利益率向上のための戦略を模索する。
6. 事業承継
・修行期間を経て外部の視点を学び、家業の運営に新しい知見を持ち込む。
・親世代との対立があっても、第三者を介した調整で建設的な関係を築く。
・承継の準備段階で家業の仕組みを理解し、早期に課題を把握する。
ゴードン:
本日は河口さんにお越しいただきました。よろしくお願いします。
河口さん:
よろしくお願いします。
ゴードン:
ではまず、アトツギになられるまでの河口さん自身についてお伺いしたいと思います。少し漠然とした質問ですが、子供の頃はどんな少年でしたか?
河口さん:
そうですね。ずっと野球をやっていましたが、特別上手ではなく、補欠ばかりでしたね。コーチに怒られながらの毎日で、自己肯定感が低い少年時代を過ごしていたと思います。
ゴードン:
怒られる毎日、という感じですか?
河口さん:
はい、そうです。上手な子はすごく褒められるんですが、僕のように上手くない軍団はとにかく怒られる一方で。もうすごく差別されているように感じて、それが強烈に印象に残っています。
ゴードン:
なるほど、当時の環境がかなり厳しかったんですね。ご家業との接点というのは、子供の頃からあったのでしょうか?
河口さん:
いえ、それが全くと言っていいほどなくて。うちは茶碗を作る会社だったのですが、工場の中に入ったことすらありませんでした。
「茶碗を作っている会社なんだな」くらいの認識しかなくて、次男ということもあり家業を継ぐという考え自体が頭にありませんでした。父からも「そんなこと考えなくていい、好きなように生きろ」と言われていたので、接点を持とうとも思わなかったですね。
ゴードン:
野球での自己肯定感の低さや、家業との接点がほとんどなかった中で、高校や大学、そして社会人になってからは、どのような目標ややりたいことがあったのでしょうか?
河口さん:
元々は建築士になりたかったんです。家を作ることに興味があって、ものづくりも好きだったので、建築学科を目指して高校受験の勉強をしていました。ただ、残念ながら偏差値が足りず、別の学科に進むことになりました。
ゴードン:
そうだったんですね。大学生活はどのように過ごされましたか?
河口さん:
大学では特に意識が高いわけでもなく、ほとんどバイトばかりしていました。「サラリーマンになって定年までぬくぬく働ければいいや」という、すごく意識の低い状態でしたね。これといって特筆すべきエピソードもなく、人並みの大学生活だったと思います。すみません、つまらない話で。
ゴードン:
いえいえ。むしろ、今の河口さんのチャレンジを知っているからこそ、意外に感じます。スタートアップの経営者というと、自己肯定感が高く、万能感で会社を立ち上げるというイメージが強いですが、河口さんはそういうタイプではなかったんですね。
それでいて、家業を継ぐような話もほとんどなかった中で、どのようなきっかけで家業への意識が向き始めたのでしょうか?
河口さん:
実は、最初は全く意識していませんでした。次男であることもあり、「兄がいずれ継ぐだろうな」と思っていました。社会人になってからも、システムエンジニアとして働きながら、家業のことは考えたこともなかったんです。
ただ、社会人6年目くらいの時に、仕事へのやりがいを感じられなくなりました。
ゴードン:
どのような点でやりがいを感じられなかったのでしょう?
河口さん:
システムの保守メンテナンスをしていたのですが、システムが動いていても褒められることはなく、止まれば怒られる。そして、それを直すのが遅ければさらに怒られるし、早く直しても特に感謝されない。
そんな状況で、「あと30年これを続けるのか」と考えた時に、違うやりがいを求めたくなりました。転職を考え、ベンチャー企業で新しい挑戦をしてみようかなと思い始めていたんです。
ゴードン:
そのタイミングで家業の話が?
河口さん:
はい、ちょうどその時期に、父から突然「うちのことをどう考えているんだ」と聞かれました。本当に突然で、何の前触れもありませんでした。
ゴードン: その時、お父様は河口さんが転職を考えていることを知っていたのでしょうか?
河口さん:
いえ、知りませんでした。自分の中で考えていただけなので、父には何も言っていなかったんです。
ゴードン:
偶然タイミングが重なったのですね。その話を聞いて、どう思われましたか?
河口さん:
驚きましたし、「自分には無理だ」と思いました。それまでの自分の人生を振り返っても、経営者になれるような経験やエピソードはなかったですし、父は陶磁器業界で顔が広く、有名人のような存在だったので、絶対に比べられるだろうと。
それを超えられる自信もなかったですし、経営の勉強もしていませんでした。不安しかありませんでしたね。なので、その場では「ちょっと考えさせてくれ」としか言えませんでした。
毎日掃除が習慣化し、維持されている現場の床(左:改善後 右:改善前)
ゴードン:
そこからどのように気持ちが変わっていったのでしょう?
河口さん:
当時、自分自身がやりがいを求めていたこともあり、「自分がやったことに対して、すぐ結果が出る」という点に魅力を感じ始めました。
それに加えて、40人ほどの従業員がいる会社で、その人たちの生活を守る責任もあると考えると、軽い気持ちではできないけれど、やりがいがありそうだと思うようになりました。
ただ、不安はずっとありましたし、考える期間も長かったです。でも、最終的には「考えている時間がもったいない」と思い、勢いで「やる」と答えました。
ゴードン:
勢いで決断したとはいえ、大きな決断ですね。その時、長男さんはどうされていましたか?
河口さん:
その話は、父から兄にも伝えられたと思います。ただ、父の中では、家業に合っているのが僕だと感じたのかもしれません。
僕が兄より仕事ができるというわけではなく、性格やタイプが全く違うことが影響したのだと思います。泥臭い現場に馴染みやすいのが自分だったのかもしれませんね。その頃、兄は東京のベンチャー企業で働いていました。
ゴードン:
それぞれの個性を考えた上での決断だったのですね。勢いで家業を継ぐ返事をした後、いわゆる「修行期間」が始まったと思います。この時期を振り返って、どのような思いで過ごされていましたか?
河口さん:
「やります」と返事した時には、すぐにでも家業に戻りたいと思っていました。2020年1月に決意して、2021年4月には戻れるだろうと思っていたんです。
ところが、父から「3年ほど外を見てこい」と言われまして、「えっ?」と驚きました。戻りたい気持ちが強かったんですが、中小企業や業界のことも分からない自分が言い返せる立場ではなく、父の指示に従うことにしました。
ゴードン:
その3年間は具体的にどのようなことをされていたのでしょう?
河口さん:
3社を経験しました。1社目は機械メーカー、2社目は貿易会社、3社目は同じ陶磁器業界の別のメーカーでした。
ただ、時間が経つにつれて、「早く家業に戻りたい」という焦りばかりが募っていました。特に異業種での経験だと、「自分が知りたいのは家業のことなのに」と思うことが多かったですね。
ゴードン:
では、今振り返って修行期間をどう思いますか?
河口さん:
あまり言いたくないのですが(笑)すべて役に立っています。父には言っていませんが、経験したことは全て家業に活かせています。ただ、期間はもう少し短くても良かったかなと思います。
それでも、コロナ禍で残業が少なかった時期に「ファースト」のようなコミュニティに参加できたことや、ピッチイベントに出たり、多くの人と繋がれたのは非常に良い経験でした。総じて3年間は意義が深かったです。
ゴードン:
修行期間を経て、家業に戻られたのはどのようなタイミングだったのですか?
河口さん:
修行を始めて3年が経つ頃、「これ以上待てない」と自分から父にお願いして戻りました。最終的に2023年1月に戻りました。
ゴードン:
約2年が経ったということですね。この2年間を振り返って、どのようなことに取り組まれてきましたか?また、心情の変化やスイッチが入った瞬間があれば教えてください。
河口さん:
正直、戻ってすぐに「経営改善計画を立てろ」と金融機関から言われ、もう何が何だか分からない状態で始まりました。現場で少し仕事を覚える時間もほとんどなく、赤字をどうするか、10年後をどうするかといった事業計画を立てるところからスタートでした。
最初から戦い続けているような感覚で、スイッチが入った瞬間というよりも、最初から入らざるを得なかった状況でした。
作成した経営改善計画書
ゴードン:
会社の危機的状況にすぐに気付かれたのですね。どのような問題に直面されたのでしょう?
河口さん:
日を追うごとに問題が明らかになりました。採算の合わない製品を作り続けていたり、非効率的な生産をしていたり、焼成に使うガス代が無駄にかかっていたりと、次々と問題が見つかりました。製品の歩留まりも非常に悪く、「どこから手をつければいいのか」と悩む状況でしたね。
ゴードン:
その中で、まずどのような取り組みをされたのですか?
河口さん:
まずは会社の情報を一元管理することに取り組みました。それまで紙や社員の頭の中にしか情報がなく、何をするにも誰かに聞かなければならない状況だったんです。それをデータ化しました。
また、歩留まりが悪い工程の改善にも取り組みました。この2つを大きなミッションとして進めました。
改善前のアナログで管理していた書類
ゴードン:
その取り組みには、周囲の方々の協力は得られたのでしょうか?
河口さん:
最初は気を使いながら伝えていましたが、半年ほど経った頃、我慢できずに「これでは駄目だ」とベテラン社員にも直言しました。
ただ、運が良かったのか、その社員が非常に前向きに協力してくれました。データ化のために情報を聞き出す際も、皆さん協力的でした。結果として、従業員との衝突はほとんどありませんでした。
ゴードン:
改善の結果はどう感じていますか?
河口さん:
良品率は確実に改善しています。また、Googleのノーコードツール「AppSheet」を使ってアプリを作り、スマホで誰でも情報を見られるようにしました。スムーズに導入でき、一定の成果が出ていると思います。
ゴードン:
素晴らしいですね。現場の改善やデータ化の取り組みで、もし振り返って「こうしておけばよかった」と思うことや、次に繋げたい経験はありますか?
河口さん:
やっぱり自分がまず動いてみせたことは良かったと思います。口だけではなく自ら行動することで、従業員の方々もついてきてくれたのだと思います。ただ、改善の効果をもっと見える形にしておけば良かったと感じます。
当時は忙しくてそこまで手が回らなかったのですが、例えばグラフにして成果を示していれば、従業員の方々もより効果を実感し、改善のスピードが上がったかもしれません。
現在運用している受発注管理システム
ゴードン:
成果を「見える化」することの大切さですね。お父様とのコミュニケーションについてはいかがでしたか?
河口さん:
父には成果が伝わっていなかったのが課題でした。父からは「営業に行け、売上を上げろ」とずっと言われていましたが、僕としては良品率を上げ、原価を下げ、生産効率を高める方が重要だと思っていました。
コミュニケーションが上手く取れず、対立ばかりしていました。ただ、父にも「これだけ原価が下がった」「これだけ効果が出た」という具体的な数字を伝えていれば、もっとスムーズに進んだのではないかと思います。
当時は本当に感情的なぶつかり合いばかりで、喋るのも嫌だったんです。
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続く・・・
次回は、事業承継と切っても切れない、先代との関係について迫ります。
そして、その後には「粗品のチンチロ」事件が・・・!
ぜひお楽しみに!







